『物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ――構造しかない日本』
大塚英志
角川書店
物語構造に注目して、村上春樹と宮崎駿の作品を解剖している。論文調。読みごたえがあって、読むのに普通の新書の倍くらい時間がかかった。
村上春樹、宮崎駿がもつ「物語構造」の手法。自身の構造論に対する鏡像として彼らが嫌悪したもの、村上春樹の場合は「オウム真理教」、宮崎駿は「ゲド戦記」。村上作品、宮崎作品における「女性の自己実現」、「母体回帰」というキーワード。これらの解説が印象に残った。
私は「崖の上のポニョ」を見た時、この作品の意味が(ストーリーのメッセージ性も"ポニョ"とは何を表しているのかも)全く意味が分からなかった。宮崎駿版「人魚姫(ハッピーエンド ver.)」かな?ぐらいにしか思わなかった。けど、「母体回帰(胎内回帰)」というキーワードを通してやっと理解できた気がする。この理解の仕方が正しいのかどうかはわからないけど。
この本で解説されている通り、「崖の上のポニョ」が "移行対象を母親に与えられることで訪れる、母性に包まれたハッピーエンド物語" だと考えると、この作品にはなにか狂気すら感じる。谷山浩子の不気味ソング「卵」の歌詞の「僕」のように、卵の中で育って、卵の中で死んでいくことをよしとしているみたいに思える。著者もこの部分については、「しかしそれは果たして男の子の成長を宮崎は描けたことのなるのだろうか」と述べている。
というか、ポニョは戸籍も何もないし、どうやって宗介と一緒に生きていくの?宗介が大きくなって普通に恋愛をする時、ポニョはどうするの?それとも胎内回帰した宗介にはもうそういう普通の生活は無いの?と、宗介のその後を考えると怖い。っていうかポニョというキャラクター自体が怖い。「崖の上のポニョ」に関しては、他の人たちはどんな考え方をしているのか調べてみようと思った。
構造論に注目してみて、私がラノベ原作アニメやTBS日5アニメをあまり楽しめない理由が見えてきた気がした。ジャパニーズアニメーションの世界には、萌えと一定のパターンが氾濫している。その中で、私が遊戯王とか、カブトボーグとか、一見王道なのにカオス(=構造をぶっ壊してくる)なアニメにハマる理由の一つが「構造」なのかな、と思った。
でも、そもそも『「構造しかない」作品じゃない作品』って何?ということがわからないので解明には至らない。読者、視聴者の想像の範囲を超える展開が『「構造しかない」作品じゃない作品』になるわけじゃないだろうし。遊戯王もカブトボーグも、ある意味「販促アニメ」としての構造をもったアニメなわけだし。
私には難しい本だったけど、構造に焦点を絞って物語を捉えるという視点を与えられたことで、いろいろ考えさせられた。勉強になった。
2012-009